平成6年 離婚と同時に茅場町にTRINKを開店し現在に至る。
音楽家を育てたいという思いが、お店を始めたきっかけ(演奏の場を提供したい)ですが、茅場町という町は仕事の延長でご来店頂く方が多く、数か月でその思いは断念せざるを得ませんでした。
それでも時折、ヴァイオリンやピアノ、チェロ、トリオの演奏会を開いています。
お店を始めてから音楽の道は諦めていましたが、恩師がお目にかかるたびに
「あなたの歌を聞くまで僕は死ねない、お迎えが近いから歌って!!」
こう仰るので、時々お店の掃除をしながら、声を出してみるようになりました。
毎晩毎晩「いらっしゃいませ~」「有難うございました」等、大声を張り上げていますので、声は出るものの、昔の様な柔らかい声は出ない……と言う壁に突き当たりました。
箒やテーブル布巾を片手に、息の事を考えました。息が出始めると、声は徐々に戻ってきました。
リサイタルを……という恩師の期待に応えるため、選曲をしました。
自分の満足する曲を選ぶことは簡単でしたが、お客様に喜んでいただける曲を選ぶことは、大変難しい事でした。
その上、それらの曲の既存の伴奏譜は、つまらないものでした。
それで、恩師やピアニストの山形リサさん、作曲家の鳥井俊之さんの力をお借りして、独自の伴奏譜を作り上げました。
伴奏者の山岸茂人さんは、日本の頂点に立つ歌い手と共演なさっており、私の様な素人の伴奏をする方ではないと、重々承知しておりましたが、昔、私の教え子の伴奏で我が家に出入りをしていた関係で、私の演奏会のお手伝いをして頂いたことがあり、今回伴奏の依頼をすると、二つ返事でお引き受け下さいました。
「私の伴奏をすると、名前が落ちるよ」こう言うと「もともと落とすほどの高い名前ではありません」というお返事を頂きました。
この言葉は私をプッシュしました。
以前、私は、茂ちゃん(こう呼んでいます)の伴奏があれば、声がなくても歌える……そう思ったほど、茂ちゃんとは息が合いました。
14年半ぶりに神楽坂の音楽の友ホールで舞台に立ちました。
昔の教え子や、お店のお客様が大勢ご来場下さり、涙を流して私の拙い歌に耳を傾けて下さいました。
ハバネラを歌い終わり楽屋に戻りますと、アンコールを求める拍手が手拍子に変わりました。その手拍子は、会場の人たちの心が一つになったことを意味していました。
本番の直前に故郷を歌うことが決まり、私たちは、会場の皆さんが歌ってくださるかどうか、案じていました。
が、杞憂でした。
皆さんが歌い、その歌声は、心を洗われるような美しい歌声でした。
それまでの私の歌など、比較にならない程の……
音楽から離れて久しいですが、今回、音楽は素晴らしいっと言う事を実感し、少しずつ、音楽活動を続けていくつもりです。
是非、見守っていて下さい。